めがね&わに

思いついた時につらつら書きます。

美術の授業

 先日工作してて思い出した話。もちろんいい思い出ではない。悪い思い出だ。

 小学生の時から美術(図画工作)の授業は好きだった。絵を描くのも工作をするのも好きだった。高校の時まで別に嫌いではなかった。でも成績は悪くなかった。何故か。教師のしてほしい動きをできていなかったからだ。

 美術の授業でなにか制作をするときはまず1時間説明と構想を練る時間があって、その後2~3時間制作の時間があった。わたしは構想を練るところで大体の作品イメージを固める。そうしたら後は出力するだけだ。小説を書くのと同じで降ってくれば後はそれを出力するだけであり、そこで悩むことはそんなにない。ちょっとした表現で考えることはあっても長考はしない。何故ならそれはもうあるものをわたしという媒介を通して目に見える形に出力しているだけだからだ。職業作家でも同人作家でもそういう巫女さんタイプの人はいると思うので感覚はお判りいただけるのではなかろうか。

 しかしそれが教師と相性が悪かった。どうにもやっつけ仕事をしている? 適当に思いついたものをさらっと描いて済ませている? そのように思われていたらしい。用意された時間はぎりぎりまで使い切らないといけなかったようなのだ。でもそんなことを言われても困る。だってこの絵は完成している。降りてきたものに単なる媒介者に過ぎないわたしが勝手に手を加えるのは嫌だ。だってそれは蛇足だ。しかし教師はひたすら「もっと工夫しろ」「もっと丁寧にやれ」「もっとじっくり考えろ」「もっといいものになると思ったのにこれで止めちゃうの? なーんだ、期待外れ」と言う。……よくこれで美術の授業嫌いにならなかったな?

 ということを先日工作していて思い出した。なんていうか、わたしの創作スタイルと学校の授業という形式が恐ろしく相性が悪かったのだ。それに降りてくるものを出力するだけなのだからそんなに時間はかからない、なんてことを学校の教師に言ったところで理解されるはずもないし、小中学生の語彙力では説明しきれない。

 本当に、ただただ相性が悪かった。そういう話だ。

 

以上。